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横浜地方裁判所 昭和51年(ワ)1118号 判決 1982年5月20日

原告

井上ミヨ

右訴訟代理人

畠山国重

小林浩平

右訴訟復代理人

山田裕四

被告

横浜市

右代表者市長

細郷道一

右訴訟代理人

上村恵史

会田努

山崎明徳

大沢公一

右指定代理人医務吏員

池田典次

外一名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実《省略》

理由

一弘子が本件悪性過高熱症で死亡するまでの経緯

1  当事者間に争いのない事実

(一)  請求原因1(一)の事実のうち、原告が昭和五〇年四月二四日朝救急車で弘子を市民病院へ連れて行つた事実

(二)  同1(二)、(三)の事実

(三)(1)  同2冒頭の事実のうち、弘子が本件手術時の全身麻酔により惹起された悪性過高熱症に起因する急性心不全で死亡した事実

(2)  同2(一)(1)の事実のうち、外科の渡辺医師の診察の結果弘子の下腹部痛が陽性であつた事実

(3)  同2(一)(3)の事実のうち、弘子の血液検査結果、発熱状態

(4)  同2(一)(5)の事実のうち、弘子が手術当時カタル性虫垂炎に罹患していた事実

(四)  同2(四)の事実のうち、酒井医師らが弘子のcpk値検査をしなかつた事実

(五)(1)  同2(五)(1)の事実のうち、酒井医師らが弘子に手術中サクシン総計一〇〇ミリグラムを投与した事実

(2)  同2(五)(2)の事実のうち、酒井医師らが弘子の手術中体温モニターを装着しなかつた事実

(六)  同2(六)の事実

2  前記当事者間に争いのない事実に、<証拠>を総合すると、次の事実が認められ<る>。

(一)  昭和五〇年四月二四日午前八時ごろ、弘子は母である原告に右下腹部の痛みを訴え、原告は、弘子が痛みを訴えた部位が盲腸が存する部位であつたため、いわゆる盲腸炎を疑い、これが悪化して腹膜炎となることを恐れ、救急車を依頼して同女を市民病院へ連れて行つた。

(二)  弘子は、市民病院ではまず小児科外来で小島医師の診察を受け、同医師の診察結果では、悪心・嘔吐はなかつたがマックバーネー点に圧痛・筋防御反射が認められた。また、咳喉は少しあつたものの、鼻汁分泌もなく、咽頭の病的異常、頸部淋巴腺腫脹、胸部の肺野・心臓の異常所見はいずれも認められなかつた。

同医師は、弘子の症状は急性虫垂炎であろうとの診断を下し、末梢血液検査、検尿、腹部エックス線撮影の手配をするとともに、外科の外来に併診を依頼した。

(三)(1)  外科外来の渡辺医師は、弘子を診察し、腹部自発痛なし、舌は湿潤で舌苔なし、マックバーネー点にやや強度()の圧痛あり、反動痛・ローゼンスタイン徴候・ブルンベルグ徴候いずれもなし、との所見を得た。

同医師は、これと腹部エックス線画像、検尿の結果(特記すべき変化なし)、末梢血検査結果(白血球数一万〇二〇〇)を総合して、急性虫垂炎との診断を下し、直ちに入院のうえ虫垂切除手術をなすべき旨の併診結果報告書を小島医師に送付した。

(2)  渡辺医師の診察でも弘子が咳をしていた事実が確認されているが、カルテにはそれ以上の記載はない。

(3)  また、渡辺医師は、弘子の母である原告を問診した結果、弘子の父(原告の夫)は五八歳の時結腸ガン手術で死亡していること、右父及び弘子の叔母はアレルギー体質であつたこと、弘子自身ペニシリンアレルギー体質で三種混合ワクチンなどの注射は拒否されていたことを聞き出した。

(四)(1)  原告は、渡辺医師から弘子を即時入院させ虫垂切除手術をさせるべきである旨を告げられて、直ちに弘子の入院手続をとり、弘子は午前一一時五分外科西第三病棟へ入院した。

入院時の弘子の体温は三八度五分、脈搏数は九六であつた。

(2)  同日午後〇時三〇分ごろ、本件手術の執刀者の諏訪医師が弘子を診察し、筋性抵抗・筋性防御・マックバーネー点圧痛いずれもあり、ブルンベルグ徴候なしとの所見を得て、臨床経過・末梢血検査結果(白血球数一万〇二〇〇、核左方移動増多)、尿検査結果、腹部・胸部エックス線面像等を総合検討して虫垂切除手術適応である旨確認した。

(3)  弘子の同二時の容態は、体温三八度八分、脈搏数一一八、体熱感あり、腹痛・吐き気なしというものであつた。

(4)  同三時一五分ごろ外科の塩谷医師が来室し弘子を診察し虫垂切除手術施行の最終的決定をした。同三時三〇分の弘子の体温は三七度八分であつた。

(五)(1)  弘子の虫垂切除手術は、全身麻酔下で行なわれることとなり、市民病院麻酔科医長の酒井医師の指導の下に研修医の橋本医師が主として実際の麻酔の施行に携わつた。

(2)  同三時三〇分酒井医師の指示により、看護婦が弘子にホリゾン及び硫酸アトロピンの前投薬を施し、同三五分手術室へ移送した。

(3)  酒井医師及び橋本医師は、弘子の麻酔実施の依頼を受けた際外科の渡辺医師から弘子の全身状態に異常がないとの報告を受け、手術直前に看護婦から弘子の小児科及び外科のカルテを受取つて閲覧し、麻酔禁忌となる異常所見がないものと認め、自ら弘子もしくは付添の原告に麻酔施行前の問診をしなかつた。

(4)  同三時四五分酒井医師の指示で、橋本医師が弘子にフローセン、酸素、笑気ガスのマスク麻酔を開始し、数分後酒井医師が気管内挿管を容易にするため筋弛緩剤サクシン四〇ミリグラムを静注し、正常な筋弛緩を得て容易に気管内挿管を了した。

(5)  酒井医師は、弘子の麻酔が安定した状態となり、諏訪医師の執力により虫垂切除手術が開始された後、他の手術室の患者の麻酔のため本件手術場を離れたが、その後、本件手術終了までの三〇分か三五分の間に、途中で数回弘子の状態観察のため本件手術場へ出入していた。

(6)  橋本医師は、その後弘子の腹膜開腹時、虫垂検索時、腹膜閉鎖時に各二〇ミリグラムのサクシンを静注投与し諏訪医師の手術を容易にした。

(7)  本件手術の執刀者諏訪医師も、麻酔医の酒井医師、橋本医師も、手術中なんら弘子の血液の異常な暗赤色化や体温の上昇、筋強直、筋播痛を認めなかつた。

(六)(1)  弘子の虫垂切除手術は同四時二五分異常なく終了した。

しかし、その二、三分後に、橋本医師は、弘子の麻酔を覚醒させるため顔に刺激を与えようと手を触れたところ、異常な熱感を感じ、折から本件手術場に戻つて来た酒井医師に右異常を告げた。

(2)  そこで、酒井医師は、機械室へ走り電子体温計(体温モニター)を持参して来て弘子の直腸温を測定したところ四〇度あり、更に電子体温計装着のため弘子の両足を拡げ下腿部を触れた際に筋肉の異常な強直を覚知したため、右時点で同医師は、弘子を悪性過高熱症と診断し、直ちに橋本医師、看護婦らを指揮して、アルコール綿、氷のう、扇風機等を用いて全身の強制冷却を図るとともに、純酸素による人工呼吸、筋強直緩和剤アミサリンの点滴を行なつて全身状態の改善を図つたが、弘子の体温は同四時三〇分には四四度に上昇した。

(3)  弘子は、同四時三五分ごろ体温が四三度とやや下降したものの、不整脈を来たし、その後同五時五分ごろ心電図で心停止の状態となつたため、酒井医師らは、心臓マッサージを施し、前記同様身体の強制冷却に努めるとともに、体液の酸性化が予想されたのでメイロン(重曹)を静注投与し、更にアミサリン、強心剤のアドレナリン、利尿剤のラシックス、副腎皮質ホルモン剤のソルコーテフ等の静注投与を精力的に行なつた。

(4)  その後、弘子の体温は、午後五時五〇分には三六度三分の平熱に復したので、身体冷却は中止し、酸素吸入及びメイロン、ソルコーテフ等の投与を続け、平熱よりやや低めに体温を維持したところ、弘子は同七時ごろ眼を開いた。

(5)  そこで、同医師らは、更に酸素吸入、メイロン、ソルコーテフ等の投与を続けながら弘子の容態を見守つたところ、意識の回復も間近と考えられたので、同九時一五分弘子を手術室から重症患者用個室へ移送した。

当夜は、弘子に人工呼吸器、心電図モニター、電子体温計等を装着したまま、酒井医師と塩谷医師が市民病院に泊まり込んで交代でその後の弘子の治療に当つた。

(6)  弘子は、同一〇時ごろ全身筋肉強直、瞳孔散大の状況を呈したが、ホリゾン、カルチュール等を投与したところ改善され、同一一時三〇分ごろには呼名反応が復活するまでに回復した。

翌二五日午前〇時ごろには、弘子は、意識が戻り、時折「お母さん」と大声を発するようになり、この時の体温は三六度八分、脈搏は一一四とほぼ正常であつたものの、依然チアノーゼ状態が持続していた。

(7)  ところが、弘子は、同一時ごろ再び上肢強直を来たし、同一時四〇分には全身けいれん及び気道吸引を起こしたので、酒井・塩谷両医師が人工呼吸を施し、アミサリン、ホリゾン、アルチュール、エピレナミン等を大量に静注投与した。

同二時三〇分ごろ弘子の体温が再び四一度に上昇したため、アルコールによる身体冷却を行なつたが効果なく、同三時二〇分には心室細動・対光反射消失の状態に陥り、心マッサージを施しエピレナミン心注投与をなしたものの、これも効果なく、弘子は同三時三〇分悪性過高熱症に起因する急性心不全により死亡した。

二市民病院医師らの責任について

1 虫垂炎治療方法の選択を誤つた過失について

(一) <証拠>を総合すると、本件手術当時、成人の軽症に属するリンパ濾胞腫大型虫垂炎の手術適応について、早期切除を是とする立場に対し、待機を是とする反対説もあつたこと、しかし、小児の虫垂炎では、症状が不定で病勢の進行が速やかであることが多く、待機による手遅れは、穿孔・壊疽や重大な合併症発症の危険を招く反面、非穿孔期の切除手術の死亡率は著しく低い等の理由から、腹部圧痛・病歴・発熱状況・白血球増多などから虫垂炎の疑いがある場合には、誤診を恐れ待機するより、早期手術を推奨する立場があつたこと、が認められる。

<証拠判断略>

(二)  本件手術前の弘子の容態は前記一2(一)ないし(三)、(四)(3)認定のとおりであつた。

また、<証拠>によると、本件手術によつて切除摘出した弘子の虫垂を病理組織学的に検査した結果では、右摘出虫垂は急性カタル性濾胞性虫垂炎の病変を呈していた事実が認められ<る。>

(三) 前記(一)(二)認定の事実によれば、市民病院医師らが、弘子を急性虫垂炎と診断し、虫垂切除手術を決定施行したことは、その裁量の範囲内であつて、医学上相当な措置というべく、右医師らの診断及び虫垂切除手術の選択につき過失を認めることはできない。

2 手術に際しての説明及び承諾取付義務を怠たつた過失について

(一) <証拠>を総合すると、渡辺医師及び市民病院の他の医師らは、原告に対し、明示的に「虫垂切除手術をすることになるがいいか」と尋ねなかつたし、また、手術に対する承諾書を徴しなかつたこと、しかし、他方、渡辺医師は、原告に対し、弘子の虫垂切除手術をする旨を告げ、これに対して原告は右手術を当然のものと受け止めなんら異議を述べず、暗黙裡に右手術を承諾したこと、が認められ<る。>

(二) 虫垂炎及び虫垂切除手術の内容の凡そについて、一般に知られていることは公知の事実であり、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告は右疾病及び手術内容につき凡その知識を有していたことが認められ<る。>

右認定の事実によれば、右手術内容につき、市民病院医師らが原告に対して前記認定のほかに説明すべき義務が存したものと認めることはできない。

(三) また、<証拠>によると、全身麻酔時の悪性過高熱症発症の確率は七〇〇〇例ないし一〇万例に一例程度にすぎず、通常起こり得ることが危惧される危険とはいえないことが認められ<る。>

右認定の事実によれば、右悪性過高熱症発症の危険性につき、市民病院医師らが原告に対して説明すべき義務が存したものと認めることはできない。

(四) 以上のとおりで、市民病院医師らに、本件手術につき、承諾取付義務及び説明義務を怠たつた過失があつたものと認めることはできない。

3  発熱時に虫垂切除手術を施行した過失について

(一)  <証拠>を総合すると、全身麻酔による手術の施行は、発熱が原疾患によるものでその疾患を取除かない限り熱を下げることが出来ない場合、ことに救急手術の場合には、体温強制冷却措置を講じながらの手術さえも禁忌とならないこと、小児の全身麻酔による虫垂切除手術も三九度以下の体温では禁忌とならないこと、が認められ<る。>

(二) 右認定の事実と、前記一2(四)認定の事実とによれば、弘子の本件手術前の発熱は、全身麻酔による虫垂切除手術の禁忌となる程度のものとは認められず、したがつて、諏訪医師、酒井医師らに弘子の発熱時に虫垂切除手術を施行した過失があつたものと認めることはできない。

4 手術前の問診及びcpk値検査の義務を怠たつた過失について

(一) <証拠>を総合すると、次の事実が認められ<る。>

(1)  悪性過高熱症(以下本症ということがある。)は、麻酔手術中に患者が突然異常な四〇度をこえる高熱を発し不幸な転帰を辿る症例を指称し、その存在が注目され麻酔学者の注目を惹くに至つたのは、一九六〇年のデンボローの報告以来で比較的最近のことであるが、その後国際シンポジウム等が本症をテーマに開催されるなど各国の学者の強い関心を惹き研究が進められている難病である。

(2)  本症の日本人における発生頻度は、諸説あつて、麻酔七〇〇〇回に一回(盛生・菊地)とも、一万五〇〇〇回から一〇万回に一回(恩地・奥村・丸川他)ともいわれており、また、その死亡率は六〇ないし七〇パーセントにも達し、最高体温が高いほど死亡率も高くなる。

(3)  多くの本症例ではサクシン等の筋弛緩剤の投与により筋強直を起こすところから、原因を筋細胞の代謝異常に求める考え方(フリット等)が有力であるが、筋強直を伴わない症例もあるため、なお本症の原因については定説をみない状況にある。

しかしながら、本症及びアレルギー症の発生機序から考えて、ペニシリンアレルギーないしはアレルギー体質と本症を発症しやすい基礎的体質との間に相関関係は考え難い、少くとも、現在までのところ、アレルギー体質の患者が本症を発症しやすいとの報告は公にされていない。

(4)  外国の例では、本症は家族的発生例が多数報告され、優性遺伝が強く疑われているが、我国で家族的発生例が確認されているのは現在まででは神戸市の叔父・甥間の一家系二例にとどまる。

(5)  本症の臨床的症状としては、

(イ)  筋弛加緩剤サクシン等の投与により、十分な筋弛緩が得られなかつたり、作用時間が短縮したり、逆に筋強直・筋膜搦(Fasciculation)を来たすことが多いが、これらを伴わないこともある。

(ロ)  また、典型的には体温の四一度以上への急上昇がみられるが、これは通常、麻酔導入後三〇分程度遅れて発現することが多い。

(ハ)  更に、体表に班点状チアノーゼが発現し、血液が暗赤色化し、重症イシドーシス(酸性血症)、高カリウム血症、高リン酸血症、ミオグロビン尿症、cpk値(血清クレアチンフォスフォキナーゼ値)の上昇を伴う場合が多い。

(ニ)  頻脈・不整脈等の心室性不整脈、頻呼吸を伴う場合も多い。

(6)  本症の治療法としては、決定的なものはなく、対症療法として早期に発見して身体の冷却を図る以外には救命の途はない。

また、筋強直除去のため塩酸プロカイン(商品名アミサリン)の静注投与、アシードスに対しメイロン(重曹)の投与、末梢血管拡張剤ソルコーテフ、利尿剤ラシックス、低血圧治療剤プロタノールL等の投与、ブドウ糖等の補液も必要とされる。

(7)  本症の予知は、有効な決め手がなく困難であるが、術前の問診により患者の家族性の麻酔事故・筋肉系異常の有無を調べ、これらの異常がある場合には全身麻酔は避けるのが無難である。

cpk値の測定、アイソザイムの測定が本症の予知に有効であるとする説もあるが、cpk値の異常があつても本症発症がなかつたり、逆にcpk値が正常であつても本症発症をみたりすることからその測定の有用性には否定的評価が有力である。その上、cpk値等の検査体制の現状では非現実的であるといわれている。

また、患者から得た生検筋標本を、カフェイン液・フローセン液・サクシン液等に浸して筋収縮検査をすることが本症の予知に有効であるとする説もあるが、その有用性は一般の承認を得るに至つていない。

(二)  前記一2(三)(3)、(五)(3)認定のとおり、渡辺医師は、原告に対し、弘子の近親者の死因や薬物アレルギー等につき問診し、その結果をカルテに記載し、麻酔科の酒井医師らは、右カルテを閲覧検討して弘子につき麻酔禁忌を疑うべき事由が存しないものとみて自ら問診しなかつた。

(三) ところで、麻酔医の問診は、麻酔禁忌事由を発見するために要求されるものであるから、右禁忌事由の存否を知るために必要な信頼しうる情報が他の医師の作成したカルテ等に記載されている場合には、特段の事由の存しない限り自ら更に問診をしなければならないものではない。

(四) なるほど、<証拠>によれば、弘子のカルテには渡辺医師の問診の結果として、弘子自身ペニシリンアレルギー体質で三種混合ワクチンの接種を拒否されたことがあること、弘子の父及び叔母もアレルギー体質であつたこと、弘子の父は五八歳の時結腸癌手術で死亡したこと、が記載されていた事実が認められるが、前記(一)(3)認定のとおり、アレルギー体質と悪性過高熱症を発症しやすい体質との間に相関関係は考え難いこと、そして、<証拠>によると、弘子の父は結腸癌の手術が原因で死亡したのではなく、手術後暫く経過してから結腸癌が原因で死亡したものである事実が認められることに照らすと、酒井医師が、右弘子のカルテを閲覧して麻酔禁忌を疑うべき事由が存しないものとみて弘子や原告にそれ以上の問診をしなかつた点に問診義務を怠たつた過失があつたものと認めることはできない。

(五) したがつて、前記認定の状況にある本件においては、酒井医師らに弘子の麻酔前の問診義務を怠たつた過失があつたものと認めることはできない。

(六) cpk値測定は、前記(一)(7)認定のとおり本症の発症予知に必ずしも有用かつ現実的とは認められないから、これが測定の注意義務があつたものとは認めることができず、右注意義務の存在を前提とする原告の主張は失当である。

5  悪性過高熱症発症の早期発見義務を怠たつた過失について

(一)  手術中の筋弛緩不十分を看過してサクシンを過剰投与した過失について

(1) <証拠>によると、全身麻酔による虫垂切除手術における最初の気管内挿管時の筋弛緩剤サクシンの通常の投与量は体重一キログラム当り一ないし二ミリグラム、その作用持続時間は二ないし五分間であること、挿管後の虫垂切除手術における開腹時・虫垂検索時・閉腹時にも手術部位の筋の十分な弛緩を得るために挿管時の二分の一ないし三分の一位のサクシンを投与するのが常例であつたこと、弘子の手術時の体重は29.5キログラムであつたこと、が認められ証人小島の挿管時以外には筋の弛緩が不十分で手術者の要望があつたときを除いてサクシンの投与は行なわれない旨の証言は措信しがたく、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(2) 前記一2(五)(4)、(6)、(7)認定のとおり、本件手術時の弘子に対する筋弛緩剤サクシンの投与量は挿管時に四〇ミリグラム、開腹時・虫垂検索時・閉腹時に各二〇ミリグラムづつであつた、また、右挿管時及び手術中にも筋弛緩が不十分である事実や筋強直の事実を酒井医師、橋本医師、諏訪医師らは認知しなかつた。

(3) 右認定の事実によれば、酒井医師らが、挿管時のサクシン投与によつて十分な筋弛緩が得られなかつたことを看過して、漫然、多量のサクシンを投与して悪性過高熱症発症の早期発見義務を怠たつたものと認めることはできない。

(二)  体温モニター装着を怠たつた過失について

<証拠>によると、最近の研究の結果では、術中体温を持続的にモニターすることは悪性過高熱症発症の早期発見には必ずしも有効とはいえないことが認められるばかりか、前記二4(一)(5)、一2(五)(4)、(六)(1)、(2)認定のとおり、悪性過高熱症による体温の異常な上昇は麻酔導入三〇分以後に発現することが多かつた、橋本医師は手術中終始弘子の脈をとるとともに体温にも注意していたが異常発熱を認めなかつた、酒井医師・橋本医師らが本件弘子の異常発熱を確認し治療を開始したのは手術終了後で麻酔導入時から起算して約四三分後であつた。

右認定の事実によれば、酒井医師らが、弘子の本件手術につき体温モニターを装着せず悪性過高熱症発症の早期発見義務を怠たつたものと認めることはできない。

(三)  酒井医師が研修医の橋本医師に弘子の麻酔管理を任せ切りにした過失について

前記一2(五)認定のとおり、酒井医師は、弘子の本件手術に際して、最も危険な麻酔導入時には安定した麻酔状態に入るまで橋本医師に付きつきりで同医師を指導するとともに自らも弘子を観察し、手術終了後の覚醒時には弘子の手術室へ戻つて観察しているほか、手術中にも数回状態観察のため弘子の手術室を訪れており、また、証人橋本、同酒井の各証言によれば、橋本医師は昭和四九年五月医師国家試験に合格し、同年一一月から昭和五〇年四月末までの予定で市民病院で酒井医師の指導の下で麻酔の臨床研修に励んでいたこと、この間弘子の本件手術以前既に二〇〇件近い全身麻酔手術に関与し事故のなかつたこと、が認められ<る。>

右認定の事実によれば、酒井医師が、経験未熟な研修医の橋本医師に弘子の麻酔を任せ切りにして悪性過高熱症発症の早期発見義務を怠たつたものと認めることはできない。

(四)  弘子の手術中の頻脈を看過した過失について

<証拠>によれば、弘子の本件手術中の一分間の脈搏数は麻酔導入一五分後からは一五〇、同二〇分後からは一六〇に達していることが認められる。

しかし、<証拠>によると、手術中の頻脈の原因は、本症のほかにも種々存することが認められ、更に、前記一2(五)認定のとおり、弘子の手術中諏訪医師、酒井医師、橋本医師らは、弘子につき筋強直はもとより筋弛緩不十分、筋膜搦、体温の異常上昇、手術野の血液の暗赤色化、自発呼吸等の事実を全く認知しなかつたのであるから、酒井医師らが、弘子の頻脈を看過して悪性過高熱症発症の早期発見義務を怠たつたものと認めることはできない。

三以上の事実によると、市民病院医師らに原告主張の過失を認めることはできない。したがつて、その余の点につき判断するまでもなく、原告の本訴請求は失当として棄却を免れない。<以下、省略>

(下郡山信夫 佐藤嘉彦 太田剛彦)

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